たわむれ
ピーンポーン、と間伸びしたインターホンの音に、通販なんか頼んでたっけな、と記憶を探りながらモニターを見る。
見覚えはあるが訪れるはずのない人物の姿をそこに認めて、私は眉をひそめた。外はもうとっくに日が落ちている。スマホを見るが、連絡は何も入っていない。二度目のインターホンが鳴り響く。面食らいながらも、私は玄関へとそろそろ出ていった。
「あ! 先輩! 留守かと思ったあ……」
「す、春原?」
「ごめんね、いきなりきちゃって。上がっていい? お邪魔しま〜す!」
「はっ!? ちょ、なに!? 春原!?」
「見て見て。ちゃんといいもん持ってきたよ」
愛嬌百点満点の完璧スマイルで、春原はビールと発泡酒がぎゅうぎゅうに詰められたレジ袋を得意げに掲げた。どんだけ飲むつもりだ、というかすでにちょっと飲んでるらしい。顔が薄ら赤い。
「まっ、て! 部屋片付けるから!」
「だーいじょうぶだって、汚くないし汚くても別に何にも思わない……」
「あっこらもう、ドア開けない! ちょっと大人しくしてて!」
肩を掴んで強引に引き留める。この酔っぱらいめ。きゅっと睨みを効かせると彼が振り回していた尻尾はどんどん萎れていく。わかりやすいったらありゃしない。だから憎めないのだ。こんな有り得ない所業をされても、許してしまう。
「ステイ。できるでしょ? 部屋すぐ片付けてくるから」
「はい。オレ、いい子にしてます」
わんわん、と付け足された過剰なリップサービスに吹き出して、私は春原の頭をぐしゃりと撫でた。ブリーチのかけられた毛先が、ちくちくと手のひらに刺さる。
春原には悪いけれど、とてもじゃないが彼を男としては見ることはできない。一緒にシフトに入っている時も、黙っていればそこらの大学生とそう変わらない雰囲気なのに、口をひらけば甘えるようにやたらとちょっかいをかけてくる。私もまんまと可愛がってしまうのだ。実家にいる弟のことを、つい思い出してしまうから。
バイトの飲み会の帰りに、一度家まで送ってもらったことがあった。路線が一緒らしい。ここからなら歩いて帰ります、と言っていた。だからそう遠くないところに住んでいるのだろう。どうやらその時に家も覚えられていたらしい。──脇が甘いのだろうか。
「でも、相手は春原だしなあ……」
掃除機をかける轟音の中で吐き出した言葉に、やっぱり納得してしまった。ちょっと晩酌して帰ってくれるならそれでよしだろう。こっちは絶賛傷心中なのだ。春原の太陽のような明るさは今の私にはきっといい薬になる。
「はい、どうぞ。いらっしゃい」
廊下にしゃがみ込んでいた春原は私を見上げると、やわらかい笑顔を滲ませた。あれ、と私は目を瞬かせる。さっきの振り切った陽気なテンションも、鳴りを潜めたように見える。
「ありがと、先輩。お邪魔します」
うん、と私は間の抜けた声を返す。それから、まるで自分の部屋のようにソファに腰掛けて缶を取り出す春原を眺めていた。
「どれがいい? ビールか、檸檬か、桃。二本ずつ買ってきた。他にもあるよ。オレは桃にしよーっと」
「檸檬にする」
狭いソファの隣に招かれて、戸惑いながら腰を下ろす。薄くつけられた春原の香水の匂いは、ひどく大人びている甘い香りだった。かんぱあい、と缶を突き合わせる瞬間だけ、軽く肩と肩が触れ合った。
かわいい顔でかわいくない量を一気に注ぎ込んで、うま、と低く呟く。意外と小ぶりでもない喉仏に目がいったのを誤魔化すように、私も半分くらい一気に煽った。
「いい飲みっぷりじゃん。うまい? 檸檬。ひとくちちょうだい」
「あるんでしょ、二つずつ」
「いいじゃんいいじゃん。オレのも飲んでいいよ」
桃の酎ハイは強い炭酸の中に甘ったるさがぎゅっと閉じ込められていた。どんどん飲みたくなるような恋しさが残る。飲み口についてしまったリップを拭って、缶を返す。春原とまともに二人になるのは初めてかもしれなかった。どう振舞っていいのか、よくわからない。
「ねえ先輩。酔っ払う前にいっこお願いしていい?」
「なに」
「今日、一晩だけ泊めてくんない?」
「無理」
「即答!」
春原はお腹を抱えてけらけら笑った。そのまま飲み干した空き缶をくしゃりと潰す。鮮やかな赤い爪が目に留まった。彼女とお揃いにでもしているのだろうか、と思考が巡って、急に面白くなくなった。
「ネカフェでも行けば。駅前にあるよ、でかいとこ」
「さみしいじゃん……。こういう時、ひとりになんのはさ」
「なに女みたいなこと言ってんの」
おでこを弾くと、口をへの字に曲げて、む、と拗ねた表情を浮かべる。かわいい子だ。絶対に引っかかりたくないくらい。
「先輩も彼氏と別れたとこでしょ。さみしくない?」
「なんで知ってんの」
「え? わかるよ。先輩のこと見てたら」
そんな風に周りに思われていたのか、と虚を突かれて、すぐにそんなはずがないと否定する。
大学の友人にも、高校の友人にも、結局別れたことはまだ誰にも打ち明けられていない。ショックが深すぎて呆然としているのだ、忙しく日々を過ごすことでそれを忘れようとしている。いつも以上に明るく振舞っているせいか、「さすが彼氏に愛されてる女は違うよね」と羨まれたことさえあった。私の勝ちだ、と思ったのだ。傷ついてなんかない、あいつなしでもやっていける。
そうしてひた隠しにしている傷は、不意に暴かれてしまった瞬間に血を噴き出す。
「泣く? いいよ。背中さすっててあげる」
「……泣かない。平気」
「我慢しないほうがいいって」
「やだ……」
先輩強がりだもんね、と、背中に乗せられた広い手のひらを感じながら、傷口を抉るような甘い声を聞いていた。懸命に塞いでいた涙腺は壊れて、膝を抱えて袖口に目元を押し付けた。背中が震える。見てほしくないのとおんなじくらい、ここにいてほしかった。
「オレも相方と喧嘩しちゃったんだよね」
「相方って、女?」
「や、男だけど」
「一緒にすんな」
「う、いひゃい」
つねった頬はよく伸びた。すぐ目の前にいるはずの輪郭がまた涙に滲む。そのうちの一粒を、春原の親指はさらっていった。
「先輩の泣き顔、かわいい」
「うるさい、嬉しくない」
ふふ、と春原の口の端から漏れた笑い声がまた憎たらしい。ほんとにかわいいよ、ともう一度同じ言葉を重ねられて、視界が揺らめく。ずっと甘やかしてたはずなのに、甘えたくなるのは何故だろう。
「だからほら、先輩のこと慰めてあげる! だから先輩もオレのこと慰めて?」
一瞬、その無邪気な丸い瞳に色気が混じったような気がして、気のせいだと思い直した。自分の感覚も大概やられている。きっと「さみしい」せいなんだろう。
冷蔵庫の中身を適当に寄せ集めて炒めて味付けしただけの、つまみにもならないようなおかず。それでも春原は大絶賛しながらぺろりと食べ尽くしていった。総じて賞味期限が切れかけていたので、無限の胃袋はありがたい。あまりにも目を輝かせて食べるので、こっちまで頬が緩んだ。料理の腕は中の下だろうし、元彼にもここまで褒めそやされたことはない。
「エプロンとかするんだ。似合う」
「形から入るタイプだから。それっぽくなるでしょ?」
「それっぽい。それでおかえりって言われたらそそられんね」
「親父くさ」
「ぐっとこない男なんかいないって。……ねえ」
ふと視線を隣にやった、その視界がすこしだけ揺らいだ。たしかこれで三缶目だった。
「キスしていいですか」
ん、と、口元に運びかけた缶が空中で止まる。何を尋ねられたかもうまく処理できないうちに、「だめ」と答えていた。しゅわしゅわと、胸の内で動揺が破裂する。体内にアルコールを流しても、心臓のざわめきはちっとも治まらない。
「ねえ、したい」
握りしめていた缶を取り上げられて、代わりに春原の手が私の指に絡む。体重をかけられるままに体が倒れて、ソファのへりに頭がぶつかる。ふざけた顔をしてると思ったのに、笑顔はすこしも残っていなくて面食らう。そんな顔するんだ。浮かんだ感想は他人事みたいだった。この状況に、あまりに現実味がなくて。
「ほんとにだめ?」
「ほぼしてるじゃん」
その吐息すら、春原の唇にぶつかる。
仮に好きになったとしても手が届かないようなタイプだ。運よく恋人に成り上がれたとしても、こっちがいちいち惚れすぎるせいで苦労が山積みになっていく感じの。味わわなくたってわかる。今こいつを好きになっても報われない。
それでも、電灯を逆光に迫ってくる春原は、そんな体たらくなのに手つきも力もちゃんと優しくて、際限なく欲しくなる。偽物だとしても、深い海の中に誘われて、溺れたくなる。危ない男だ。気付いたってもう遅かった。
「好きにしなよ……」
息を吐き切らないうちに接吻は始まる。飢え切った犬が剥く牙は鋭い。息をする余裕すらくれない。跡をしるすように舌も唇も甘く噛まれる。ぞくぞくした。ぜんぶ奪われたくなってしまいたくなる。
意識が薄ぼんやりしてきたところでやっと、ごめん、と謝られて、春原の胸を弱々しく叩く。部屋着のニットワンピは既に太ももまではしたなくはだけている。
足の間に身を割り込ませて、春原はまた口付けた。ちゅ、ちゅ、ちゅ、と唇を吸われて、物足りなくなったタイミングで口内を乱される。アルコール混じりだった唾液はもう春原と私だけのものになっていて、キスだけなのに息が切れて顔が赤くなる。一杯一杯だった。膝を撫でられただけで体が震える。
「ゴム、ある?」
「するの?」
「嫌?」
「ん……」
答えを出せないまま、なだらかに愛撫は始まる。ワンピは一息で捲られ、白い光の中に下着が露わになって、見ていられなくなった。そんなつもりじゃなかったのに、その気になってるのも嫌だった。──本当はすごく、期待してるくせして。
「ちょ、っと。春原もちゃんと脱いでよ」
「や〜……、着たまますんのいいなって思って。ハマっちゃいそ、先輩のせいで」
「馬鹿じゃないの」
「これでも結構緊張してんだよ? 女の子抱くの久々だし」
「彼女いないの?」
「いないよ! いたらしないって。そこまでだらしなくないよ」
だいじょうぶだよ、オレ、優しいから。春原の瞳は心なしか若干潤んでいる。本当に優しい人はそんなこと言わない、と反論したかったけれど、呆気なく信じてしまいそうな自分に笑えてしまった。
「ゴム、ベッドの横にあるよ。取ってこようか?」
「ん。ちょっと待ってて」
脱がしかけた服を律儀に下ろして駆けていき、春原はすぐにモノを見つけて戻ってきた。そのまま、一言も交わさずに続きが始まる。
下着の隙間から入ってきた指は、やっぱり手慣れているように思えた。中指がゆっくりと中を弄る。親指で芽を慈しみながら、もどかしいほどぬるい力で、いろんなところを撫でられる。ゆっくりと探られてしまうと、全部見つけられてしまうような気がして恥ずかしい。
「とろとろだよ。気持ちいい?」
「もっと……して、いいよ」
「あ、煽んないでよ。も〜う……」
指を増やして中を器用にかき混ぜながら、余裕のあるキスを降らせる。絡む唾液に夢中になっていると、ぐっと圧迫するような指の力を感じると同時に、突然芯を貫くような電流が走って、まろび出た甲高い声が部屋に反響した。太ももで挟み込まれた春原が見透かしたように緩く微笑んでいて、むかつくのに、息を整えるだけで精一杯だった。
「よかった? 今の」
「……ん、すごかった」
「あはは、かわいい。ここ弱いんだね」
「ねえ、春原は? きつくないの」
「だね〜……。いっかい挿れていい?」
背中に手を差し入れられて、ゆっくりと身体を起こされる。ずらしたジーパンと下着から一瞬見えたそれは思っていたより質量があって、頬が火照る。
「上、乗れる?」
肩に手を置いて、恐る恐る身を沈めようとするけれど、うまくいかない。はいんない、と訴えると、「エロすぎ」と笑われた。腰をへたらせたまま、いっかいキスを挟んだ。キスが好きなのかな、と思う。私も春原とのキスが好きだな、と思う。
「ワンピ持っててあげるから。自分で挿れれる?」
「ん、」
こっちが一生懸命探っている間に、春原はブラのホックをさっと外してやわやわと胸を揉み始める。むっとして頬をつねると、顎を掴まれて口付けられた。「ほら、頑張って」と笑顔で頭を撫でられる。乳首を口に含まれて、春原の舌は滑らかに円を描いている。膝が立たなくなって余計うまくいかない。
「ごめんごめん。意地悪嫌だよね。泣かないで」
「泣いてない……」
「いっぱい気持ちよくさせてあげるから。ほら、ご褒美」
腰を支えられて、散々焦らされたそこにあられのない熱が押し込まれる。母音混じりのとろけた声が喉から漏れて、春原も苦しげにうめいている。
「ぁん、や、すのはら、」
「……百って呼んでよ、今日ぐらい。ね?」
奥まで刺すように潜り込まれて、言葉が言葉にならないままぐちゃぐちゃと溢れる。ぬちぬちとうねる粘着質な音の合間で、百、と掠れた声で呼んでいた。中でぐっとものが膨らむ気配がする。まるで私のことが好きだと囁くみたいに。
「ああ、我慢きかないかも。やばいね。ごめんね」
「ぁ、ねえ、いきそ、ねえもも、怖い、」
「だいじょうぶ、ほら、オレの目見て?」
鮮やかで可憐な瞳と目が合った瞬間、抑制の効かない波に任せて百のものを思い切り締め付けた。百の濡れた瞳が同時にぐっと細くなる。腰の震えがなかなか止まなくて、熱い首筋を抱き締める。
「ぁ、はあ……ん……」
「気持ちいい?」
「うん、」
「そっか」
でももうちょっとだけいいとこまでいこっか。体を倒されて訳がわからないうちに思い切り突かれる。狭いソファじゃうまく体勢を取れなくて、必死になって百にしがみついた。やめてと乞う余裕すらない。ぐずぐずになった全身の神経が、百の律動のなすがままに震えたり痺れたり好き勝手している。
「無理っ、もも、もうむりっ、ぁ! ねえ、やん、あっ」
好き、とうめくように言ってしまった気がした。今なら百の耳に届かない気がして。
「……オレも」
果てた快楽に押し流されてもなお、その声だけが鼓膜にしがみついて私の喉を締め付けた。ぼろぼろと泣きながら、力の抜けた百の背を抱いていた。永遠に、この夜が終わらなければいいのに。願っていたことは、ただ、それだけだった。