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 色違いのピアスふたつがベッドサイドに転がりっぱなしになっている。ペールブルーの片方を、彼が忘れて帰ったのはいつだったか。遡る日付はカレンダー一行分じゃ足りない。
 ひらいたラビチャの画面には、取りに来て、と打つつもりだった。会いに来て、と同義の、懇願を。
 薄ら寒さのようなものを感じて、腕をさする。ほとんど離れかけている彼の気を、どう引けばいいのかわからない。それはきっと、最初からそうだったのだ。私には彼が未だにわからない。そもそもどうして彼が、私を選んだのか、それすらも。
“もう別れる?”
 指をかざしていたちょうどその位置に、生まれたての言葉が滑り込む。息が止まる。いずれそうなることはわかっていたはずなのに、吸った息の吐き方を、簡単に思い出せなくなる。
 ふたつのピアスが煌めいている。ペールブルーの片方と、ローズピンクの片方。あとは耳朶に、塞いでしまおうと思えばすぐに塞げるはずの、百くんが空けたちいさな穴がふたつ。
 何度ふたりで抱き合ったかわからないベッドに倒れ込んだ。百くんしかいない私の元を、もうすぐ彼は去ろうとしている。


「泣いてるの?」
 部屋には既に夕陽が差していた。点けっぱなしだった目の前のスマホに、私の時間を止めたはずの一言はもう残っていなかった。トーク画面は『送信を取り消しました』という素っ気ない一文で締め括られている。
 起こそうとした身体を後ろから抱きしめられる。誰に、なんて、確かめなくたって、振り返らなくたってわかる。その体温でしか埋まらない穴を、震えるほど味わったばかりだった。
「泣いてはないよ」
 広くはないベッドの上で身体を抱かれ、百くんの方を向かされる。冷たい色をしていなかったことに、浅はかな安堵が込み上げる。
「目、真っ赤じゃん」
「じゃあ、泣いてたのかも」
「オレが別れるって言ったから?」
 おもちゃみたいに大きくて熱い涙が瞳からこぼれて、白いシーツに吸い取られていった。でも、その筋を辿るように擦った百くんの親指の方が、あつい。
「百くんがいなくても平気だったのに」
 なおも彼を詰りながら、失えない、という事実に足がすくむ。どう生きていけばいいのかまるでわからない。百くんからの連絡を待たない毎日。会えるまでの日を数えない毎日。同時に、テレビの中のステージの上で、弾けるような笑顔を浮かべて踊り続ける百くんを、やっぱりいつまでも眺めている毎日。
「ぜんぶ、百くんのせいなのに」
「のに?」
「……お願いだから、いなくならないでよ」
 結局失っても離れられないなら、忘れることも叶わない。
「どこにもいかないで」
 彼の目尻がふっと緩む。
「ばかだなあ」
 呆れたように、ほっとしたように。
「オレが好きなら好きって、そう言えばいいじゃんか」
 彼の耳朶で、二色のピアスがひかっていた。圧倒的な体重で全身がベッドに沈む。きっとこれであともう少しは、穴のことを忘れていられるだろう。致死量の安心を与えるその腕が、とっくに能無しになった私の胸をまた埋める。

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